今回の大震災はまさに未曾有の大災害。2ヶ月経過した5月半ばでも復興への歩みは遅々としていました。そんな中で「日本共産党救援ボランティア」活動が提起されました。
東北3県の中でも岩手県や宮城県は、時間の経過とともにゆっくりではあっても復興への歩みが感じられますが、福島県は全く様相が違います。原発事故が重く住民生活の上にのしかかり、全くの出口すら見えてこないというのが正直な現状でした。
私(木戸)は、5月15日から1ヶ月間、この福島県の相馬地方に党の「救援ボランティア」として活動に入りました。以下、その「報告レポート」を5回にわけて掲載します。
「相馬に行ってくれないか」と府委員長から要請されました。相馬?...正直ピンときませんでした。福島県といえば、会津磐梯山周辺の温泉に1~2度行った位で、海岸通りは全く未知の世界。相馬といえば思い浮かぶのは相馬盆歌くらい、有名な相馬野馬追い祭すら知りませんでした。
やはり気になったのは原発・放射能です。すぐ調べました。相馬市は原発から約40キロ、「大丈夫やろう」という軽い気持ちで相馬入りをしました。ところが現地ではどうやら南相馬市にボランティアセンターを置き、宿泊場所も原発から23キロと聞いて内心はビックリです??
でも現地は比較的安全でした。少なくとも短期滞在にはほとんど心配はありません。ちなみにボランティアセンター周辺の線量測定値は平均0.35~0.4マイクロシーベルです。飯舘村は3.5~4.0マイクロシーベルと10倍以上、福島市内では1.40前後とむしろ高くなっています。これらは全て1号機爆発時の放射能と風向きによるものです。
でもこの地に拠点を構えた事について、「若い人は行かせられない」「野菜を送っても大丈夫か」など、様々な意見が寄せられたのも事実です。でも相馬地方全体を視野に活動を展開し、その拠点としての役割をはたす上では強烈なインパクトでした。ここを拠点にして私の1ヶ月の活動が始まりました。
相馬地方とは北から、新地町、相馬市、南相馬市の2市1町の総称です。この地方は浜通りをタテに走る6号線を境に、海岸線沿いの地域に津波被害が広がりました。同時に、原発による放射能汚染の影響が今なお住民生活のうえに重くのしかかっています。
特に南相馬市は、旧原町市、小高町、鹿島町の1市2町が合併した町ですが、おおまかに南から、20キロ圏内の小高区(立ち入り禁止の警戒区域)、20~30キロ圏内の原町区(緊急時避難準備区域)、30キロ圏外の鹿島区(東電の勝手な線引きで補償の対象外)と、それぞれの事情が異なり、各地域毎に特徴ある条件と困難さを抱えた地方です。
★写真上はボランティアセンターの前で京都、高知のボランティア、地元の皆さんと一緒に(後列右から3人目、帽子をかぶっているのが私です...木戸和司)。写真下は20キロ圏内の立ち入り禁止の「警戒区域」で交通規制がかかった国道6号線(小高区と原町区の境界付近です)。