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救援活動・原発ゼロ

「相馬支援レポート」(2)...衝撃!!「見える傷跡」「見えない傷跡」

②津波のあと.JPG まず被災現場を自分の目で確かめる事が必要です。現地の党員に案内してもらい、海岸線の大津波による被災現場に立ちました。目の前に飛び込んでくる景色は想像を超えるものでした。何ひとつ残っていません。一面に広がるのは海水に洗われた田んぼと瓦礫の山、鹿島区の国道6号線沿いには、今もなお20数隻の船が横たわったままです。
 新地町では跨線橋の一部だけを残した駅舎、線路もない瓦礫の中で車のナビが「間もなく踏み切りです」とくり返していたのが印象的でした。あまりの被害の大きさに言葉を失い、涙があふれてきました。この目で見た「見える傷跡」の衝撃です。

 

 大津波に襲われた人たちが次々とその時の恐怖を語ってくれました。ある老夫婦の話しは僕にとって衝撃的でした。たまたま別のところにいたそうですが、お互いとも間一髪で助かった夫婦です。海岸線で10メートルを越える巨大津波に襲われた奥さんは、「白い巨大な壁が迫ってきた」と言います。内陸部で遭遇したご主人は、「15メートルを超える真っ黒な壁」の恐怖にただ逃げまどうだけ。「手をつないでいた知り合いの手が離れた」「近所の方が波にさらわれ目の前を流れていった」...涙なしでは聞かれない話しが続きました。

 

②横たわる船.JPG もうひとつの深刻な被害が原発事故です。1号機が爆発した12日、何もわからないままバスに乗せられ緊急避難、そのまま帰れないふるさと。小高区のTさんは言います...「小高の空気も同じ色です」。私は「見えない傷跡」と表現することにしました。この原発事故による恐怖が住民生活に重くのしかかり、解決の糸口も復興への手がかりも全く見えてきません。
 またこれらの重なり合った大災害が、人々の心の中にも「見えない傷跡」を深く残していることに気付きました。津波で兄弟や肉親を奪われ方、家とともに家財道具・農機具まで全てを失った方、いまだ行方不明の知り合いを探し続ける方、程度の差こそあれ、ほとんどの皆さんが深い悲しみと傷跡を抱えていました。僕にとっては「見えない傷跡」のダブルショックです。

 

 それでも現地の皆さんは決して負けてはいませんでした。明るさを失わず、元気に、前向きに頑張る議員さんをはじめ、ボランティアセンター作りに尽力していただいた民商の皆さんや、地元の党員の皆さんに励まされました。少し話しをすれば、皆さん自らの「見えない傷跡」について語り始めます。話しを聞けば聞くほど深い悲しみに触れる一方で、「この人たちと心をひとつにして頑張ろう」となります。支援活動への本気の腹が固まるまでにそう時間はかかりませんでした。

 

★写真上は大津波で全てを流された住宅地の跡地(新地町)。写真下は横転したままの船...いまだにあちこちに放置されています(相馬市)。

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