京都ではじめてとり組んだ相馬支援のバスツァー。マイクロバスを仕立て、20日~24日までの5日間(移動日含む)、参加者は18名です。団長は成宮まり子府会議員、ツァー名称は、「京都ひまわりボランティア・チームなるみや」と名付けました。成宮団長から連日情報が寄せられていますので、その一端を紹介します。
■1日目(20日)の模様です。野田淳子さんの情報も追加しました。
・朝7時、支援物資をいっぱい詰め込んだマイクロバスが出発。約11時間、順調に走って夕方6時、南相馬市のボランティアセンターに到着。京野菜も宅急便で届きました。現地で歌手の野田淳子さんと合流。夕食はセンターの近所で唯一開店している焼肉店へ...19人の団体客、店の方もビックリ!
・野田淳子さんは前日から現地入り。20日は鹿島区で開催された「ひまわりまつり」に、京都から連帯をこめた友情出演。ひまわりが満開となった郡さん宅前の仮設イベント会場と、真野小学校体育館のステージでさわやかな歌声を披露。参加した約300名のみなさんと一緒に、復興と原発ゼロへの思いをこめて歌い上げました。
・この真野小学校は津波で泥やガレキで埋もれ、全国からのべ376人のボランティアによって綺麗に片付けられました。卒業式ができないまま中学校へ進学した卒業生のために、7月30日に感動の卒業式を行ったばかりの会場です。
■2日目(21日)、3日目(22日)の活動の様子...以下は、成宮団長のメール(要旨)です。
◆21日は野田淳子さんと合流して、原一小学校(原発から25キロ地点)でコンサートや紙芝居、素麺の炊きだしと物資提供。避難所や近所の方、市職員など100人が参加され、とても良かったとみなさん、感激されていました。
午後からは近所を地元の市議や支部と全戸訪問。「わざわざ京都からありがとう」と、突然の訪問にも、あがらせていただいてお茶が出たり、涙ながらに「元の生活を返して!原発はいらない」と長い話に。原発署名はほぼ全てのお宅が協力してくれました。
毎日余震もかなりあり、戻ってきた住民は4割足らず、草ぼうぼうの空き家ばかりで若い世代や子どもはほとんどいない、という町。色々な辛い思いを一人ひとりが抱えていること、共産党の活動への期待も実感しました。
◆22日は、相馬市で訪問・要望聞き取り。18人が9組に分かれ、訪問292、対話149、署名109。三時間がんばりました!
「南相馬市と違って市長が放射線の影響は少ない、としているので測定も大雑把。細かく正確に測ってほしい」「屋根が傷んだが瓦が足りず、修理は3年待ち。半壊までいかないので何の補償もない」「津波に自宅兼民宿を流されて、失業したうえ借家に引っ越し」「相馬は放っておかれている」などの声。
地元の村松市議の活動はよく知られ、「ひとりで悩まないで」名刺も好評。11月に延期された市議選があり、300件の訪問はきっと力になれたと思います。
23日は新地町と鹿島区へ。夜中や朝から余震が続く。震度3ぐらい。
*写真上は南相馬市のあるひまわり畑の風景。写真下は相馬市の海岸沿い。400戸の集落と小学校が、津波に呑み込まれた場所です。(相馬市において成宮さんが撮影)
なお、一行は本日23日も現地で活動した後、24日に京都に戻る予定です。詳しくは後日、ホームページでもアップする予定です。