こんにちは!
ちょっとご無沙汰してしまいました・・
「カクメイ名所」案内、いよいよ外に出ますよ!
今回は、1923年1月1日に「京都で共産党が旗揚げされた場所」!!
行ってみたいと思いま~す。
『京都府党のあゆみ』によると、
「京都の党組織は、党創立の直前、荒畑寒村から辻井民之助に、『党結成にさいして、京都の信用できる労働者を推せんしてほしい』という連絡があってからである。そして、創立された党中央の指導をうけて、辻井が中心となって組織し、京都の最初の党が組織された。
・・・1923(大正12)年1月1日、辻井宅で京都の最初の党の会議が開かれた」
と。
ちなみに、「党創立」というのは、1922年7月15日に日本共産党が創立されたときのことですね。
東京都渋谷区の民家に8人が集まって、最初の党大会を開いたそうです。
戦前の日本では、共産党を作るには、民家で、ひそかに、だったんですね。
その辺を詳しく知りたい方は、党史の本『日本共産党の80年』とか、不破哲三さんの書いた『日本共産党史を語る 上』などを読んでみてください~
それで、京都のはなしに戻ります。
「辻井宅」ってどこ?!ということで、
「この本にいろいろ載ってるよ!」
倉林明子参議院議員秘書の浅井さんから貸してもらいました~
『京都 礎をきずいた人々』
1994年に、京都民報社・日本共産党京都府委員会編著で出版されています。
もう売ってないでしょうね。。。
谷口善太郎さんの「党創立前後の思い出」という手記に・・・
ありました「辻井宅」!!
「二十三年(大正十二年)の元日、わたしは当時東山の妙法院前側町の高田という鉄道職員の家の二階に住んでいましたが、朝起きて下におりると家のかみさんから郵便をわたされました。二、三枚の年賀の中に、辻井君からのハガキがありました。見ると、「正月がきても独身者には酒も雑煮もなかろう。一日ひるすぎに拙宅へおいで、おばあちゃんがごちそうするといっている」という意味の文面。わたしは「なかまというものはありがたいものだ」と思ってでかけました。
辻井君の家は当時大宮頭寺ノ内西入堅社北半町にありました。西陣特有の低いベンガラぬりの古びた家で、表の格子戸の横の竹がこいの中に石地蔵が安置してある」
写真も!
前にお地蔵さん!
お地蔵さんなら今もありそう!!
堅社北半町を地図で調べて~
事務所の自転車を借りて~
出発!!
くぅ~、まだ事務所を一歩も出てません。。。