プロローグ 木村万平さんと寿岳章子さん
この路地にも、まるで降るようにお囃子が...
「この路地にも、まるで降るようにお囃子が聞こえてきますよ...」
祇園祭も近い6月末、こんなに祭りを心待ちにしながら路地の暮らしを慈しんでいる人たちがあったことを思い出しました。
――もう、30年近く前のこと。国語学者の寿岳章子先生のお供で「京都の路地探訪」をしたときのことです。
「いやぁ、これは見事なまでにきれいな佇まいやね」
寿岳先生は開口一番、感嘆の声を上げました。
路地は入口から奥の突き当りまで2列に敷 いた端正な石畳。その敷石を挟んだ南北両側に、これまた12軒の2階家がきれいに庇(ひさし)を並べています。
町名は中京区・元竹田町。京都の台所・錦市場はすぐそこ。四条通の長刀鉾にも近く、観光客など人の往来もかなりあります。
それでも路地に一歩入ると、周辺の喧騒からまるで切り取られたような静けさで、軒下に並んだ植木、広げた雨傘、子どもの自転車が暮らしの息遣いを感じさせました。
突き当りの鳥居は、明治25年から祀られているという伊勢大神宮で、小さな祠(ほこら)の周辺には玉砂利が敷いてありました。
すっかりこの風景に魅せられた寿岳先生の聞き上手で、年配の男性がいろいろと路地の暮らしを聞かせてくれました。
ここには昭和の初期までは、各戸に井戸があったとか。毎夏には「井戸さらい」をしたこと、家の外に盥(たらい)を出して、子どもに水遊びをさせること、表のきれいな敷石は年に2、3回、住人総出で水洗いをするのが習わしになっていること、年の暮れには除夜の鐘が鳴ると同時に、井戸から汲み上げた若水を大神宮にお供えし、みんなでこぞって初参りをすること、お地蔵さまがないので、地蔵盆の代わりに10月の奉祭日にいろいろなお供えをして、町内・家内安全を願っていること、祇園祭のころは、家々から床几を出して、鉾町から聞こえてくるお囃子を聞くのが楽しみなことなどなど...。
アジサイの花の陰で、孫をあやしながら話してくれたおじいさんの、穏やかな顔を今も思い出すことができします。
消えゆく路地
厄除け 火除けの おちまきは
これより出ます
つねは出ません こんばんかぎり
ご信心のお方さまは
うけてお帰りなされましょう
おろうそく一(いっ)ちょう
献じられましょう
粽売りに声を張り上げる子どもめっきりと少なくなり、祭りに合わせて帰ってくる家族や親せきの子どもが多いとか。
それでもこの時期、各町内は活気をみせ「日本一」の祭りを支えてきました。
その一角に万平さんの涼やかな裃姿のあったことを忘れることはできません。
今年も巡行は終わり、お囃子の音(ね)も、子どもたちの歌う声も、聞こえなくなりました。人の気配が感じられなくなった路地はいま......。
京都をこよなく愛した寿岳さん、万平さんらと共に取り組んだ住民運動が伝えるものは今も大きい――ここから「路地めぐり」を始めます。(と)
<注> 挿入のわらべ歌は、96歳の母から聞いたり、取材先でお話を伺った方などに教えていただきました。