夕餉の支度が始まる頃、路地からかすかに聞こえていた機音がピッタと止みました。
しばらくすると、「ちょっと、お醤油かしてぇな」と、お向かいの家に飛び込む奥さん。
またしばらくすると 「おナス、炊いたんやけど食べる?」と、首に手拭いをひっかけた奥さんが、煮物入れた鉢を手に無遠慮に隣家の戸を開けます。
夕立が来ました。
慌てて家から飛び出してきた奥さんが、隣家に向かって叫びます。
「おっちゃーん ! 雨、降ってきたぇ !」
そう言って立てかけてある、先が二股(Y型)になった長い棒で高い物干しに手を伸ばし、何段にも揚げてある竿からスルスルと手早く洗濯物を取り込みます。
◇
ここは北野天神さん、上七軒に近くい上京区・滝ケ鼻町の通称〝百軒長屋〟。田の字型の路地は石ころだらけの地道で、中には立て替えた新築もありますが、築八十年を超える木造の平屋もあり、肩を寄せ合っています。
路地を出ると、すぐ南は中立売通の下ノ森商店街。かつて市電が走っていた頃は北野車庫もありました。特に年の暮れやお正月、毎月25日の「天神さんの日」には、市電も遠慮がちに走らなければならないほど人、人でごったがえしました。その光景は、昭和30年代の庶民の暮らしを描いた、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』そのものです。
狭い路地に、子どもたちの声が弾けていました。
空き地も目立つようになった〝百軒長屋〟
坊さんが へをこいた
においだら くさかった
隠れんぼをするときの数え歌です。
「昔は、そんなこともありましたぁ」と話してくれたのは、手押し車に体を預けるようにして、近くの医院から帰ってきたおばあさん(79歳)。
屋根に集めたさまざまな鍾馗さん
長屋には機を織る家も多く、一日中、機音が響いていました。
戸口から顔を出すと、目の先はすぐお向かいの家。子どもが病気になれば、医者を呼びに走る家、お湯を沸かす家、親子・夫婦喧嘩があると仲裁する人、一人暮らしが病気をすると、おかずが届けられます。
「恥も外聞もない。何もかも明け透け。そやからちっとも見栄を張る必要はありませんでしたな」などと、なつかしそうな眼差しで語ってくれました。
しかし、数年前、一軒から火が出て、田の字の半分がなくなり、更地になったまま。草の生い茂る空き地もあります。機を織る家もめっきり減りました。
さみしいと思うことは、「ここでは子どもも生活でけんしね。たまにしか来んようになったことですな」と、ひっそりと笑いました。
洗濯物を取り入れていた奥さんが、こっちを見て言います。
「おばちゃん、頼まれた買いもんしといたよ」
「ああ、おおきに。助かりましたわ」
わずかな住人の人情がまだ生きている路地でした。(と)
各町内で、ことしもにぎわった地蔵盆
この日ばかりは、子どもが主人公。幸せな成長を願って、大人たちも喜んで汗を流します。