1945年11月21日、治安警察法廃止が公布されています。そして多くの、いわゆる「政治犯」が釈放されています。
その5ヵ月前の6月17日午後のことです。「巣鴨の東京拘置所の正面から、網走刑務所から私の身柄をうけとりにきた3人の看守につれられて池袋の駅へ歩きはじめた」「看守たちは、ぽつりぽつりと口をききはじめたが、先が長いのに、そんな重い荷物をもって行っても『領置』になって虫に食われるのだから仕方がないだろう、どうして、家族の者に宅下して来なかったときいた。私のトランクには、冬の衣類と本が入っていた。私は、だいたい今年中には日本の敗北で終わるだろう。そうなれば政治犯は釈放されるだろうと思っていたので、それでも、1年間位新しい差し入れなしでもよめるだけの本のほか、北海道から寒い季節にかえる時の用意のつもりだった」。・・・日本共産党の故・宮本顕治さんの『網走の覚書』の一節です。
11月1日~3日におこわれた「赤旗まつり」での不破哲三さんの講演「『科学の目』で日本の戦争を考える」は大好評でした。その大要が「しんぶん赤旗」11月7日付に掲載されています。それに刺激され、関連する文献を探していたら、上記の宮本さんの文章をみつけました。
正確には、この文章が収録されていた「『文藝春秋』にみる昭和史」という文庫版です。この本は、「文藝春秋」と関係誌に掲載された文章のうち、その年ごとにその時代を反映した数本の文章が紹介されているものです。半藤一利さんの監修です。1946年の分としてノミネートされているのが、「網走の覚書」ともう1本です(ちなみにもう1本は南原繁東大総長の「戦歿学徒に告ぐ」)。
不破さんが明らかにされている侵略戦争と暗黒政治のすさまじい実態のなかで、日本の敗戦を見通していた「透徹した目」―それこそ「科学の目」にあらためて感動です。