今総選挙の重要なキーワードの一つは間違いなく「自共対決」でした。安倍総理が総選挙の党首討論などで日本共産党・志位委員長と顔をあわせるたびに、「自共対決ですね」と声をかけたことは、たいへん有名になりました。
安倍総理の発言、いつ頃から出るようになったのか。それは半年前、6月末でした。長い通常国会終了後、各党への挨拶回りの際、日本共産党の控え室を訪問したときでした。「自共対決でしたね」。安倍総理の口からでたのはこの言葉でした。昨年の参議院選挙での日本共産党の躍進が国会の様相を大きくかえました。そのことの実感が安倍総理の発言につながったのでしょう。
総選挙の終盤、谷垣幹事長の発言もずいぶん話題になりました。「どの政党が国民のためにやりたいことを示せるのか」「一つ示せる党がある。(それは)共産党だ)」「しかし、我々は共産党といっしょにやるわけにはいかない」。不破哲三さんにいわせれば「なんともいえない演説」をおこないました。
谷垣幹事長の発言は偶然、たまたまの発言ではありません。2年前のことでした。自民党本部の研修会で「日本の政党で地方組織がしっかりし、どこへいってもそれなりのレベルの地方議員をもっているのはそう多くない。共産党というのは、そこは敵ながらあっぱれで、それなりのレベルの地方議員をもっている」、こう発言しています。
このような自民党中枢幹部による「自共対決」発言。ルーツはいつかと調べてみました。さかのぼること40余年、当時、自民党副総裁の川島正次郎氏の発言でした。
60年代最初(60年12月)の総選挙での日本共産党の獲得議席は3でした。60年代のたたかいを通じて、60年代最後(69年12月)の総選挙では14議席に躍進しています。得票は319万票でした。
京都では前年1968年の参議院選挙で定数2の京都選挙区で河田賢治さんの当選、そして1969年の総選挙では1区・谷口善太郎さん、2区・寺前巌さんがともにトップ当選をかちとりました。「日本の夜明けは京都から」というスローガンがひろがっていったのもこの頃です。
このようななかでの川島正次郎・自民党副総裁の発言でした。氏は「80年代は自共対決の時代になる」と発言しています。
それから40余年。決して一路前進ではありませんでした。1980年の社会党、公明党の「共産党を除く」社公合意、「オール与党体制」の確立、2003年以降の「2大政党づくり」・・・ともに、国民の選択肢から日本共産党をのぞこうとする究極の反共攻撃でした。「下りのエスカレータを必死にあがろうとする」(志位委員長)ような苦闘の連続でした。その壁が破られたのが昨年の参議院選挙、今回の総選挙でした。衆参国会議員は32名になりました。
自民党中枢幹部の嗅覚は、今総選挙での日本共産党大躍進の意味をもっとも的確にとらえているのかもしれません。