はじめに
日本共産党は、2002年7月15日に党創立80周年をむかえ、2003年1月『日本共産党の80年』を発表しました。
京都府委員会は党創立60周年にあたって、『府党60年のあゆみ』を発表しています。今回、80周年にあたって、その後の20年『京都府党のあゆみ(1980年代以降)』をまとめ、あわせて先の『府党60年のあゆみ』について、党の理論的・組織的発展と新たに明らかになった事実にもとづき必要最小限の補正をおこないました。
この20年は国・地方を通じての反動攻勢のもと、また、京都では「地方自治の灯台」と称され、28年にわたって住民本位の政治をすすめてきた民主府政が1978年「落城」(故・蜷川虎三元知事)し、反動府政と「オール与党」体制のもとでの20年でした。
同時にこの20年は世界と日本の激動のもと、政党の存在意義とそのあり方が大きく問われた20年でした。自民党政治の破たんと支持基盤の崩れのもとで、無党派層が増大し、政党の合従連衡・離合集散があいつぎました。
党は、その時々の京都府民がぶつかっている困難の打開に真剣に取り組み、府民とともにそれを解決する努力をすすめ、あすの京都、よりよい政治・経済をめざして、国・地方政治の転換と改革の旗をかかげて奮闘してきました。
激しい反動攻勢と反共攻撃のもと、国政選挙での躍進と後退、その時々の前進・後退はありましたが、京都での党員数は2万2,000人を維持しました。地方議員数は161人(1979年いっせい地方選挙時)から174人(2003年12月)に前進しました。これは、この20年で差し引き73もの議員定数が削減され、また他党の議員数が62人も減ったもとで、京都での日本共産党の政治的比重を高める貴重な前進です。
党は、政治の転換を願う府民と日本共産党の共同こそ、府民の暮らしと京都を守る力だと訴え、共同の発展に力をつくしてきました。2002年の京都府知事選挙では「民主府政の会」の候補が、自民党府政に変わったもとでの最高票を獲得し、日本共産党が共同する自治体の広がりなど新しい地方政治の流れがつくりだされてきました。
*この「京都府党のあゆみ」は、京都府党の創立81周年にあたる2004年1月1日に発表したものです。