シンポジウム「『いじめ』『体罰』のない学校と社会を」に参加して

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 昨日、日本共産党京都府委員会主催で行われた「『いじめ』『体罰』のない学校と社会を」というシンポジウムに私も参加してきました。今回はその感想を、長文になりすみませんが、綴ります。

 


 パネリストは、日本共産党中央委員会文教委員会責任者の藤森毅さん、精神保健福祉・教育と人間関係の相談室カンナ代表の木下秀美さん、京都の高校生の9ぴっと(きゅーぴっと)さんでした。

 

 藤森さんは、日本共産党の提案「『いじめ』のない学校と社会を」を作成する過程での、全国での聞き取り調査から見えてきた今の日本の子どもたちがおかれている想像をはるかにこえた過酷な実態、そんな中でも上手く解決できた実例もある、そこから学ぼうと作成された今度の提案の中身を深める話をされました。

 

 木下さんは、学校の荒れを苦に息子さんが自ら命を絶たれたという悲しい経験をされた方で、それを機に今の道にすすまれたという方です。子どもを亡くした親の立場と専門家の立場からのお話でした。

 

 9ぴっとさんは、自分の小・中・高と、「いじめ」という学校で日常的におこる行為にどう向き合ってきたのかという話でした。小学校からクラスの中でおきる「いじめ」に心を痛め、様々な経験をとおして、高校では、ある子に向けて「いじめ」が起きそうな様子をいち早く感じ取り、クラスメイト、先生、その本人の子と、それぞれに9ぴっとさんが話しをして、運動会や文化祭をとおしてその子も含め人間関係を深めあい、その子がクラスに溶けこんでいったという9ぴっとさんの実践と経験は圧巻でした。

 

 質疑応答や参加された方の発言なども含め、全体をとおして私がまず感じたことは、吐き気さえもこみあげてくるような'過剰なストレス'におしつぶされそうになりながらも、懸命に生きている子どもたちの過酷な現実だ。

 

「小3で帰宅は16時。18時に夕食。21時には就寝。その間に宿題や入浴。子どもとよく話をする時間もとれない。遊ぶ時間もない」と会場のお母さん。精神科外来の先生から「『ぼく最近疲れてるんです』という小学生が増えてきた」との聞き取りをしたと藤森さん。

学校で目一杯勉強してきても、まだ宿題があり、塾があり、お稽古ごとがある小学生たち。「遊びほうける」時間もなく、疲れている子どもたち。

 

 荒れる子の家庭訪問をすると、「次男は父親とは関係がよくない。でも私は下の子の世話で手一杯で何もしてやれない。でも一番やさしい子」と母親が語ったという会場の先生。また別の荒れている子は、ある時「家でお姉ちゃんに殴られている」ともらしたと。

学校だけでなく、家庭でもストレスを抱えている子どもたち。

 

「今の子どもたちは甘えられない子。物をたくさん与えられていることと、本当にありのままを受容されていることとは違う。甘えられた経験のない子は自立できない。子どもが甘えるためには本当に信頼できる人間関係が必要」「おしっこちびるまで笑える経験が子どもには必要」と藤森さん。

 

 子どもを疲弊させる日本の異常な競争教育。その親までも「この子のためなら」と巻き込まれて、社会や学校と一緒になって子どもを競争に駆り立ててしまう。

 本来なら一番の信頼関係か築ける親子関係やきょうだい関係さえも歪んでしまうような過度なストレスを、家族みんなが社会の中でそれぞれに受けている。

 そんな中で、心から笑って、心から怒って泣いて、本気で誰かとぶつかり合って、本気に何かに打ち込んで、失敗して、挫折して、でもそこから学んでまた立ち上がる、という体験をぜずに社会人になってしまう子の心のもろさ、危うさは、日常に関わる今を生きる青年たちをみていれば一目瞭然だし、かつての自分にも似たところがある。

 

 この現実を、学校を、社会を、どう変えるのか?大きな壁が立ちふさがる。

 

 けれど、同時にパネリストの9ぴっとさんをはじめ、解決してきた経験もたくさん語られた。

「『学力テスト』が好きな先生も、日の丸をかかげることが大好きな校長先生も、『子どもの命を守りたい』という点では一致できる」「いろんな価値観の親同士でも、『子どもの笑顔がみたい』という点では一致できる」と藤森さん。

 立場や考え方や価値観の違いを超えて、学校、親、地域のみんなが一緒になって、「どうしたら『いじめ』『体罰』をなくせるのか」ということを語り合い、考えあい、実践していくことは、必ずできることだ。

 

 高校生の9ぴっとさんは、自分の経験から「いじめをうけている子も、いじめをしている子も、それを見ているだけの子もみんな傷ついている」と語った。本当にその通りだ。そして、「今日、こんなにたくさんの若い人や大人の人たちが真剣に『いじめ』『体罰』をなくすためにどうしたらいいのか考えてくれていることがわかって嬉しかった」とも。

 

 今、大人の私たちが子どもたちに試されている。

 

 子どもたちの未来を希望あるものにするために、立場や考え方の違いを超えて力をあわせていく時だ。

 

 子を持つ親として、身がひきしまる思いがした。そして同時に9ぴっとさんのような子が今の社会でもいることに希望を感じたシンポジウムだったC

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