文字サイズ

京都府委員会の紹介

1.社会主義崩壊論、体制選択論攻撃に抗して

反共の嵐のなか、92年参議院選挙での躍進・勝利

 1989年の参議院選挙につづいてたたかわれた90年衆議院選挙で、党は2区では寺前巌の議席を守りましたが、1区では梅田勝、藤原ひろ子の「共倒れ」という重大な結果となりました。京都府委員会は、この結果を重くうけとめて総括を深め、選挙指導にあたっての科学的情勢判断と必要な決断、機関での集団的検討とそれの全党への徹底の重要性など、痛苦の教訓を明らかにしました。

 1992年の参議院選挙は、ソ連・東欧の激動を利用して、日本共産党の抹殺をねらう攻撃の嵐のなかでたたかわれました。党はこの攻撃にたいし、正面から党を語りぬくことを合い言葉に選挙戦をたたかいました。90年8月、イラクのクウェート侵略にともない湾岸戦争が勃発しました。この参議院選挙では、自衛隊海外派兵法(国連平和維持活動協力法・PKO法)問題が1大争点となりました。田畑忍・同志社大学元学長、谷内口浩二・元京都総評事務局長など広範な人々が「平和憲法を守れ」「自衛隊海外派兵反対」の声をあげ、日本共産党躍進への期待が寄せられました。谷内口氏は「問題は日本共産党といっしょにがんばれるかどうかだ。自分の余生を国民的な課題である反共主義とのたたかいにささげる」と、日本共産党への支持を訴えました。

 京都の選挙結果は、比例代表で全国で最も得票率をのばし、選挙区でも史上2番目の得票率(19. 8%)で西山とき子が当選、国政選挙2連敗の雪辱を果たしました。「今度ほど日本共産党を語った選挙はない」との感想が数多く寄せられました。西山候補の「家族色の政治を」との訴えは、サービス残業や過労死が横行するルールなき資本主義への告発と国民の願う政治を象徴するよびかけとして共感を広げました。

 この選挙戦では、「赤旗」読者が91年6月から(92年1月を除く)、選挙まで12カ月増勢し、選挙期間中も34万部の宣伝紙が活用されるなど、党を語り、党の姿を有権者に伝える力が発揮されました。

 消費税に反対するたたかいのなかで、90年7月「消費税をなくす京都の会」が結成され、消費税反対の世論を広げました。

自民党政治の破綻のなかでの93年総選挙、95年参院選挙

 1993年の総選挙では自民党政治の危機が一つの頂点に達しました。この選挙は6月の衆議院本会議で宮沢内閣不信任案が可決、国会解散にともなう選挙でした。自民党政治を終わらせ、金権腐敗政治を1掃できるのかどうかが大きく問われた選挙戦でしたが、マスコミによって「自民党か非自民か」のいつわりの対決構図と「新党」ブームがさかんにふりまかれました。京都ではこのような流れに抗して、京都1区・穀田恵二、2区・寺前巌のトップ当選を果たしました。

 この選挙では、日本新党が京都1区で議席を得、その後、「さきがけ」を経て、96年に京都に民主党が誕生しました。

 自民党は1955年の結党以来はじめて政権の座を降り、「非自民」をかかげる8党派による連立政権・細川内閣が誕生しました。しかし、細川内閣は「国の基本施策についてはこれまでの政策を継承する」と自民党政治の継承を明確にうちだし、自民党の長年の野望であった小選挙区制が強行されました。細川・羽田と2代つづいた「非自民」政権の1年間は、自民党政治の枠内では政治は変わらないことを国民の前にはっきり示しました。94年6月には、村山社会党委員長を首班とする自民、社会、さきがけの3党連立政権が誕生しましたが、この村山内閣のもとで消費税の3%から5%への引き上げの強行やコメの輸入自由化に道がひらかれました。

 このような政治情勢の激変のもとで95年参議院選挙がたたかわれました。「オール与党」政治への国民の批判を背景に、党は、国政選挙では9年ぶりの躍進を果たしました。しかし、京都では、比例代表選挙で、自民、新進につぐ第三党となり、選挙区選挙でも減票し、加味根史朗は当選できませんでした。

 京都府委員会は、その原因について「比例を軸に」が貫けなかったこと、選挙区に候補者をたてている政党だけでなく、すべての政党を視野に入れた論戦になっていなかったこと、集中した反共攻撃への反撃が弱かったこと、無党派層へのはたらきかけに弱さがあったことなどを総括しました。

 参議院選挙直後の8月にたたかわれた向日市議選では党の値打ちを徹底して語り、8名全員当選で日本1の議席占有率を確保しました。

 この時期には、自民党政治の枠内での政界再編、旧野党の自民党政治への吸収がすすみ、「反国民的悪政に抗してよりよい生活を願うすべての人々にとって、そのよりどころとなる政党は、日本共産党だけ」(日本共産党第20回党大会・中央委員会報告)という政治状況が進行しました。


「読売新聞」の連載

 「読売新聞」は93年1月から94年3月にかけ10回にわたり、「共産党。古都でそだった革新」と題して京都での日本共産党の歴史と活動に光をあてた記事を掲載しました。記事には、自民党政治の悪政に抗して、草の根で住民の利益の擁護と理想の旗をかかげて奮闘する支部と党員の姿の一端が描かれました。一般新聞の特集企画としては、異例のものでした。

2005年5月30日掲載
働く人が元気でこそ経済再生! 私たちの選択で学費は下げられる! 活動と政策 タグ 過去記事

ページトップへ