2000年京都市長選挙と反共攻撃
2000年京都市長選挙での「反共ビラ」
2000年2月の京都市長選挙では自民党・公明党の反動連合によって、日本共産党への本格的な攻撃がはじまりました。
反動陣営の確認団体の中心に公明党・創価学会が居座り、確認団体の機関紙上で日本共産党そのものに焦点をあてた「反対だけが実績」「一党独裁がビジョン」などと攻撃をおこないました。なかには府党ニュースを掲載した、謀略的な宣伝までおこなわれました。確認団体名による、このような日本共産党攻撃は京都のこれまでの選挙戦ではなかったことでした。また、公明党は市長選挙前年の99年12月に、党本部に京都支援対策本部を設置するとともに、創価学会が前面にでて、公明党担当の演説会では創価学会の3色旗がふられました。
自民党が自らの支持基盤の崩れと足腰の弱さを補うために、政策宣伝でも組織活動の分野でも公明党・創価学会に本陣を明け渡すという、これまでにない、新しい様相の選挙戦でした。
選挙結果は、民主市政の会の井上吉郎候補は前回票にほぼ匹敵する21万1,727票を獲得しましたが、相手候補との差は、4,000票差から7万票差へとひらきました。
府委員会は、反共反撃の戦略的位置付けを貫けなかった決定的誤りを中心に、全面的に総括を深め、2月27日付「しんぶん赤旗」紙上で府委員長の総括文書でその内容を明らかにしました。
直後におこなわれた八幡市長選挙では、京都市長選挙と同様の反共攻撃が展開されましたが、党と民主勢力は反共攻撃と正面からたたかい、「オール与党」勢力を相手に、得票率41%を獲得、得票・率とものばしました。
2000年総選挙、2001年参議院選挙のたたかい
京都市長選挙に続く6月の総選挙では、自民党・公明党の反動連合は、創価学会を先頭に、日本共産党に攻撃を集中し、発行者不明の謀略ビラ・パンフレットを、全国で60種類以上、1億枚をこえる規模で大量に配布、大規模な謀略作戦をおこないました。
選挙の結果は、党は比例区で671万票を得ましたが、議席数では26議席から20議席に後退しました。京都では、比例票で24万8,326票を獲得しましたが、自民党、民主党につづく第三党に後退し、前回獲得した小選挙区3区の議席獲得はなりませんでした。
激しい反共攻撃と謀略的宣伝がおこなわれたこの選挙戦のなかで、哲学者の鶴見俊輔氏は「この百年の中で、15年続いた戦争に、反対し続けた日本共産党のことをしっかりと記憶にとどめたい」「共産党反対という一線に足並みをそろえて投票にさそう新しい翼賛選挙を前にして、私は、反反共の立場を守りたい」と表明しました。鶴見氏は翌年の参議院選挙の際にも「共産党は私が生まれた少しあとに創立された。同じ時代を共有し、双子だ。双子である私個人よりよくやった。偉大な弟だ」と述べました。
侵略戦争反対をつらぬいた戦前の党を「動かぬ座標」―「北斗七星」にたとえて評価した鶴見氏がその立場を堅持し、党への支持を公表されていることは、大きな励ましとなっています。
2001年4月、森首相の退陣をうけた自民党総裁選挙で、「自民党を変える」「自民党を壊す」と主張した小泉純一郎総裁が誕生、小泉内閣が発足しました。
2001年7月の参議院選挙は、8割前後の支持率のもと「小泉旋風」とよばれた政治的突風のもとでたたかわれ、党は比例票で433万票に、議席は改選8議席から5議席に後退しました。京都では比例区で第二党を回復しましたが、18万6,852票に後退、選挙区の河上洋子は当選できませんでした。比例区で井上哲士が当選を果たしました。選挙戦では、わが党の訴えを広く届けきることができませんでしたが、小泉政治に正面から対決し、日本改革の方向を示した党の論戦は、その後のたたかいに生きるものとなりました。
また、この選挙戦では、選挙区選挙をめぐって「日本共産党に議席をあたえない」ことを目的にした、自民党・公明党・民主党の連合がおこなわれ、これは、2003年のいっせい地方選挙でいっそう公然とすすめられました。
創価学会の京都支配の野望
2000年京都市長選挙以降の選挙戦での公明党・創価学会の活動は、その極端な反共主義、活動の謀略性の点でそれまでとは違うきわめて異常なものとなっています。その源に自分たちはどんな無法なことをやってもいつも「仏」、それを批判するものはすべて「仏敵」だという究極の独善主義があることも明らかになっています。
創価学会は1999年9月「京都代表幹部会」を開催し、そこには、池田名誉会長から「『京都の広宣流布は、日本で一番最後になるだろう』。その予想を見事にくつがえし、……今、京都は『拡大』の段階に入りました」とのメッセージが寄せられ、「偉大なる師とともに、……猛然と『京都革命』を開始した。……民衆の幸福を脅かすいかなる魔の勢力とも敢然と戦い抜き、……『常勝の都・大京都』を築きゆく」との「世界京都宣言」を発しています。
日本共産党の不破議長は、2000年京都市長選挙、2001年参議院選挙での京都での演説で「さまざまな宗教が集まって平和共存しているこの京都を創価学会の拠点にしたいという創価学会の野望がある」と警告しました。
公明党・創価学会の反社会的活動を許さず、民主主義を守る立場から、2001年3月「日本の選挙と民主主義を考える京都の会」が党と民主団体、府民有志により、発足しました。