JCP京都
かわかみ はじめ

河上 肇〈墓〉(1879〜1946)

所在地=京都市左京区鹿ヶ谷ししがだに御所ノ段町30 本山 法然院ほうねんいん墓地/墓前祭・河上肇記念会総会=毎年10月、法然院で。

たどりつきふりかへりみればやまかはをこえては
こえてきつるものかな

 これは、河上がつかまれば死刑または無期懲役も覚悟で日本共産党に入党した喜びを、かくれがで「ひとり無量の感慨かんがいふけりながら」(『自叙伝』)口ずさんだ歌。これを自筆の見事な万葉がなで刻んだ歌碑が、門下生一同によって自然石の墓に向かってすぐ右手に建てられている。

 山口高校から東京帝国大学に進み経済学を専攻、社会主義に近づく。8年、京都帝国大学講師。助教授の時、仏、独、英留学中に法学博士となり、帰国直後に教授に昇進。

 翌年『貧乏物語』を書き、労働運動に大きな影響を与えた。独力で『社会問題研究』誌を発行、反動学会と熾烈に闘う。自ら指導した京大の「社会問題研究会」から岩田義道ら有能な人材が数多く巣立った。

 28年、京大を追われたが屈せず実践運動にも参加、『第二貧乏物語』の印税すべてをカンパするなど、労働運動や共産党に莫大なカンパをしたことも特筆に値する。

 コミンテルンの「32年テーゼ」をいち早く翻訳、同年52才で日本共産党入党。翌年再び逮捕、37年出獄。京都に再移住し『自叙伝』など執筆。46年1月30日、栄養失調に急性肺炎を併発して逝去。享年66才。

※京都市バス錦林車庫から徒歩20分