たにぐち ぜんたろう
谷口善太郎〈墓〉(1899〜1974)
所在他=京都市東山区
大谷祖廟内 東大谷墓地
色紙などをたのまれると、近ごろはよく「不封己」と書いている。杜甫の「チシャを植える」のなかの「道を守って
※碑の「守道不封己」は、谷善の自筆
かつて蜷川虎三は「京のまち京のひと谷善の顔がある」と詠んだ。
石川県の貧農の家に生まれ、9才で製陶所に弟子入りするが倒産、東京で夜学に通う。
21年、弁護士を志し京都へ出て清水焼工場で働くが、貯金を恐慌で失い衝撃を受ける。
23年、京都の共産党結成に参加。山宣と労働学校を創設。三・一五事件で逮捕されたが獄中で喀血、自宅軟禁中、隠れて執筆。37年再び逮捕され拷問で廃人同様となり出所。
44年、府下胡麻郷村開拓に入植。45年、京都で党再建、49年、総選挙で初当選、50年の公職追放で議席を奪われたが、その後次点をくり返しつつ60年に議席を奪還、72年には京都一区でトップ当選、全国初の複数議席を実現。衆議院議員団長など務める。
著作に『日本労働組合評議会史』『綿』他。74年6月8日、現職中に永眠。享年74才。
★祇園石段下から徒歩約15分