JCP京都
大西良慶清水寺貫首と蜷川虎三(清水寺 成就院)

蜷川 虎三〈句碑〉
(1897〜1981)

所在他=京都市東山区清水一丁目/北法相宗 清水寺境内(山門南側)

蜷川虎三先生の略歴
 1897年東京深川に生る。国立水産講習所を経て1902年、私淑河上肇在任の京都帝国大学経済学部入学。大学院に進み統計学に新分野を拓き学位を取得。教授に昇進、学部長となる。戦後中小企業庁初代長官、50年京都府知事、累選7期20有8年一貫して憲法を行政の本となす。
 憲法を暮しに生かす地方行政これより各地に興る。令名愈々高し、81年2月洛北の富居に永眠。行年84。痛惜の声国に満つ。大西良慶清水寺貫主と意気投合、慨然として天下を論ず、よってこの地に句碑を作り、もって不滅の偉業を讃う。

 1982年2月 蜷川さんを偲ぶ府民のつどい

 故・蜷川虎三さんの句碑は清水寺の境内にある。句碑「道はただ一つ その道をゆく 春」…のそばに建てられている「蜷川虎三先生の略歴」には、略歴とともにその理由が記されている。

※東山五条から徒歩約15分