JCP京都
こくりょう ごいちろう

国領五一郎〈墓〉(1902〜1943)

所在他=京都市左京区黒谷くろたに墓地/墓前祭=毎年3月19日、墓前で。

 私は国領君と親しくなるにつれて、この自分より若い国領君がら終始教えを受けた。とくに革命家はどうあるべきかというたいせつな問題で国領君の人格から強い影響を受けた。

―谷口善太郎―

 京都西陣で生まれた。13才で織物労働者となり英語、経済学、社会学を独学で学ぶ。

 21年、18才で西陣織物労組結成に参加、相次ぐ労働争議を総同盟京都連合会、のち日本労働組合評議会幹部として先頭に立ち指導。

 23年、谷口善太郎らと京都の共産党結成。28年、ソビエト(当時)で開かれたプロフィンテルンの世界大会で、日本代表として実践に裏付けられた貴重な発言もした。帰国後、三・一五事件による組織再建に奔走するなど共産党中央の最高指導者の一人として活躍。

 28年10月早朝、特高警察に急襲され、警察の拷問や検事の追及に対して党を守って闘う。網走−釧路−奈良−堺と移送され、14年余の獄中生活で骨と皮ばかりになり、髪も白くなって胃潰瘍を発病。43年3月19日、堺刑務所で誰にも看病みとられずに不屈の革命家としての生涯を終えた。享年40才。

※丸太町岡崎道交差点から徒歩約10分