ほそい わきぞう
『女工哀史』執筆の頃
『女工哀史』執筆の頃
細井和喜蔵〈碑〉(1897〜1925)
所在他=京都府
紡織労働者としての闘争経歴に基づいて、『女工哀史』等の不朽の名著を著した細井和喜蔵の名誉のため、東京青山の無名戦士墓と呼応して、大方の寄付によって58年秋、和喜蔵生家すぐそばの丘に「女工哀史 細井和喜蔵碑」が建てられた。題字及び碑文は「女工哀史の会」代表・藤森成吉。
かつては自らが葬られるべき墓地もなかった細井は、いま多くの無名戦士たちとともに青山墓地に眠っている。
京都府加悦町に生まれる。13才で孤児となり、小学校5年で中退、
22年頃から文筆活動、短編や詩などを、『種蒔く人』に発表。妻の働きで生活しながら『女工哀史』を書き始める。関東大震災に遭い、兵庫県の能勢に避難。小工場で一日、12時間の労働をしながら『女工哀史』の執筆に全力をそそぐ。24年に再び上京、25年に改造社から出版。1か月後の8月18日、肺結核と腹膜炎で倒れた。享年28才。
葬式も出来ないほどの貧困の中で友人が「南無無産大居士」と戒名をつけ、藤森成吉が遺骨を預かる。死後『女工哀史』が爆発的に売れ、その印税などで友人が青山に墓地を買い今日の「解放運動無名戦士墓」が出来た。
※加悦町役場から200m