② 夏目漱石(なつめそうせき)1867〜1916
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京都市役所に近い御池大橋の西南詰めに、漱石の句碑があります
春の川を隔てゝ
男女哉
漱石
夏目漱石といえば『我輩は猫である』『坊ちゃん』『こころ』など、多くの名作を残した明治の文豪であることはよく知られています。ところが意外と知られていないのが京都市役所に近い御池大橋の西南詰めに、漱石の句碑があることです。
近くに住む人やお店に尋ねても「へぇー、知らんわ」「そんなとこに句碑があったの?」と逆に質問される始末。碑の裏には〈漱石生誕百年記念 昭和42年2月9日〉とあり、建立されてもうすぐ40年になりますが、ほとんど知られずにいた句碑だったことに少々、驚きました。
句〈春の川…〉の先に、小さく〈多佳さんへ〉と刻んだ文字も読み取れます。調べてみると、漱石は京都をたびたび訪れています。1915年、4度目の京都訪問した漱石は、腹痛を起こして寝込んでしまいます。その時、滞在したのが木屋町御池東にあった宿で、看病をしたのが女将の、お多佳さんだったとのこと。先の句は漱石が、世話をしてくれたお多佳さんに贈ったものでした。
この句から漱石のお多佳さんを思う気持ちが、そこはかとなく伝わってくるようです。その時の句が、自分の生誕百年を記念してまさかこんな形で残されようとは思わなかったでしょう。写真で知るあのちょび髭ですまし顔の漱石が、ちょっと照れているところを想像してしまいました。
ところでこれより少し前、「しんぶん赤旗」に立命館大学の中村泰行教授(文芸評論家)が漱石に関する小論文を書いておられたのを思い出しました。
それによると、漱石は1916年、「朝日新聞」に9回にわたって「点頭録」と題したエッセーを発表していました。内容は「漱石最後の社会的メッセージというべき性質のもの」で、「第一次世界大戦時のドイツ軍国主義を批判的に考察」。中村教授はエッセーの中身を詳しくひも解きながら、漱石の文中にある「ドイツ」を「アメリカ」に置き換えても、その今日性はまったく失われていないこと。「漱石の軍国主義批判は、軍事力によらずに『自由と平和』のうちに国際的諸問題を解決すべしという21世紀の人類的課題と深く結びついた批判であったと言えるだろう」と結んでいます。
漱石のことをまた少し知ることが出来ました。(ときこ)
2005年6月15日掲載