JCP京都

③ 長田幹彦(ながたみきひこ)1887〜1964


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碑は円山公園のひょうたん池の畔−しだれ桜のはす向かいにあります

月はおぼろに東山
  かすむ夜ごとのかがり火に

夢もいざよう紅桜
  しのぶ思いを振袖に

祇園恋しや
  だらりの帯よ

 舞妓の淡い恋心を美しい四季になぞらえて風情豊に歌い上げた『祇園小唄』。昭和初期のヒット曲は、今でもよく知られています。作詞者は東京生まれの小説家・長田幹彦、作曲者は佐々紅華(1886〜1961)。

 歌は当時の無声映画『祇園小唄絵日傘』(金森万象監督、1930年製作)の主題歌として、公開当時、スクリーン横で舞妓姿の女優が字幕に合わせて歌ったことから、いっきに流行しました。また、京舞の四世・井上八千代師が振り付けをし、以来、今日も芸舞妓が舞を披露するときには必ず舞う、祇園花街を代表する舞踊となりました。

 長田は『祇園小唄』を、お茶屋「吉うた」で作詞しました。それが縁で二代目の女将・お龍さんが歌碑の建立に奔走。関係者の協力を得て1961(昭和36)年11月23日、この地に実現しました。長田の直筆原稿は、現在も「吉うた」に大切に保存されており、毎年11月23日には歌碑の前で「祇園小唄祭」(京都伝統技芸振興財団主催)が華やかにおこなわれています。

 長田は1909(明治42)年、早稲田大学を中退。東北、北海道を流浪しながら鉄道工夫、炭坑夫、旅役者に交じって暮らし、1911(明治44)、大学に復学。旅役者の体験を下地にした『澪』を書き、姉妹編『澪落』を中央公論に発表して一躍文壇に名をはせました。77歳で亡くなるまでに長編300、短編600、歌謡曲の作詞350という膨大な作品を残しましたが、その中に『祇園』『夜桜』『夕すずみ』『鴨川』など、祇園を舞台にした作品もかなりあります。

 もう間もなく、都大路に祇園祭のお囃子が響きます。祭りで連想するのは、伏見に在住した日本共産党員の作家・西口克己さんの小説『祇園祭』。京都府が府政百年事業として当時の蜷川虎三知事が映画製作を支援、府民のカンパなどで映画化が実現しました。

 応仁の乱以後、幕府の権力によって閉塞状態にあった社会を、町衆の力で何とかうち破ろうと、途絶えていた祇園祭の復興に力を注いだ人々を感動的に描いた物語。「エンヤラヤッ〜」―権力者のさまざまな妨害をはねのけて、いよいよ町衆の夢と団結の結晶である山鉾がゆっくりと動き出す…クライマックスの場面が鮮やかに蘇ってきます。(ときこ)

2005年6月21日掲載