京都は文学の宝庫。たくさんの文人が住み、あるいは訪れています。それを記念する文学碑が身近に数多くあります。意外な人や作品との出会いもあり、あらためて文学碑めぐりの魅力を発見します。しばらく散策を楽しんでみましょう。(ときこ)
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- ⑪与謝 蕪村(よさ ぶそん)1716〜1783
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与謝蕪村の墓所である金福寺(左京区)の境内に、「蕪村が当季によめる句」として、冬の句がいくつか掛かっています。蕪村は天明3年12月25日未明… 続きを読む2006年1月11日掲載
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- ⑩川端 康成(かわばた やすなり)1899〜1972
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真っ先に浮かぶのは「伊豆の踊子」「雪国」「千羽鶴」「古都」など名作の数々。「優れた感受性で日本人の心の真髄を表現した」作家と評され… 続きを読む2005年12月8日掲載
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- ⑨種田山頭火(たねださんとうか)1882〜1940
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菅笠とくたびれた法衣に身を包み、飄々と歩く雲水姿の山頭火を、ご存じの方は多いのでは。何ものにも束縛されず、足の向くまま、気の向くままに歩いた山頭火は… 続きを読む2005年11月11日掲載
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- ⑧高浜虚子(たかはま きょし)1874〜1959
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高浜虚子は85歳で没しましたが、その生涯に20万句を超える膨大な俳句を残したと言われます。その作品集の中に、『虚子京遊句録』というのがあるように、京都を詠んだものも実にたくさんあります… 続きを読む2005年10月26日掲載
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- ⑦臼井喜之介(うすいきのすけ)1913〜1974
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嵯峨・大沢の池の東畔に建つ詩人・喜之介の歌碑は1976年4月11日に建立されました。一字一字、刻まれた文字の力強い筆致は、大覚寺住職・味岡良戒師の筆によるもので、見惚れるうちに、いつしか喜之介の詩の世界に引き込まれていくようです… 続きを読む2005年8月8日掲載
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- ⑥与謝野晶子(よさのあきこ)1878〜1942
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近代文学の第一人者・与謝野晶子の研究については、これまで多くの方が手がけられ、すぐれた書物も数多く出ています。浅学な私には到底及びそうにもなく、気後れしていましたが、それでも伝えておきたいことが一つ。それは全国的にも京都に一番多いと言われる晶子の歌碑に関してです(すでにご存知の方もあるとは思いますが)… 続きを読む2005年7月20日掲載
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- ⑤奥田雀草(おくだじゃくそう)1899〜1988
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俳画家・奥田雀草を、誰もが「雀草さん」と呼び親しんでいました。ひげを蓄えた口元とメガネ越しの目は、いつも柔和に微笑んでいました。人を見る時、ひょいとメガネを額の上に引き上げ、顔を近づけるようにして、「お元気でしたか?」と確かめる。そんな親しみ深さとともに、小柄らで飄々とした風貌にピッタリの俳画の数々は多くの人びとに愛されました… 続きを読む2005年7月7日掲載
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- ④濱田陽子(はまだようこ)1919〜1992
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京都市伏見区に在住した歌人です。歴史上の人物は、たいがい名前を呼び捨てにしますが、「濱田陽子」さんは、その生前を知っている私にはとても身近な存在で、いまだに胸の奥深く生きつづけており、到底、呼び捨てでは語れません… 続きを読む2005年6月29日掲載
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- ③ 長田幹彦(ながたみきひこ)1887〜1964
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舞妓の淡い恋心を美しい四季になぞらえて風情豊に歌い上げた『祇園小唄』。昭和初期のヒット曲は、今でもよく知られています。作詞者は東京生まれの小説家・長田幹彦、作曲者は佐々紅華(1886〜1961)… 続きを読む2005年6月21日掲載
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- ② 夏目漱石(なつめそうせき)1867〜1916
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夏目漱石といえば『我輩は猫である』『坊ちゃん』『こころ』など、多くの名作を残した明治の文豪であることはよく知られています。ところが意外と知られていないのが京都市役所に近い御池大橋の西南詰めに、漱石の句碑があることです… 続きを読む2005年6月15日掲載
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- ① 真下飛泉(ましもひせん)1878〜1926
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「ここはお国を何百里」――石碑に刻まれているのは『戦友』という歌の出だしの一節です。年輩の方ならよくご存じですが、歌詞はこう続きます… 続きを読む2005年6月7日掲載